名前の持つ大切な意味
少し古いですが、林修氏の書籍「いつやるか?今でしょ!」からの引用抜粋です。名前に関する記事ですが感動営業の考え方にも通じるところがあります。私自身読まれにくい名前の持ち主として共感できます。名前とは一生ついてくるものであり自分自身を表す命そのもの。時々読み返して原点に立ち返っています。
「今の生徒たちの名前に感じること」
高校の先生との生徒の成績表をみながらの気づき成績上位の生徒は普通に読める名前が圧倒的。下位になるほど難読な名が増える。すべてクラスで同じ傾向にあった。難しい名前の生徒の親はクレームも多いらしい。これは偶然ではないと思う。
親は自分の子供が立派になることを願って名前を付ける。あくまで究極の目的は子供がすばらしい人間に成長することであり名前はその過程でなくてはならないものだが、ひとつの道具であることも事実。名前を読み間違えることは失礼なことだ。しかし普通に読めない名前はやはり読めない。そういう名前を付けられた子供は誤読されて嫌な思いをする、あるいはいちいち説明しないといけない煩わしさを一生抱えて生きていくことになる。だから本質を分かっている親は普通の名前を付ける。こだわるべきは名前ではなくその子の在り方そのもの。
名前=固有名詞について
人間は、切れ目のない連続体(=カオス)では認識できなくて困るので適当なところで名前を付けて区切る。時という切れ目のないものを1月2月といった具合に。このように名前をつけることは切れ目を入れること。そういう区切りには何段階もあって、動物→哺乳類→犬→ポメラニアン→と名段階も区切ってどんどん小さなグループに分けていく。だから名前=固有名詞はこういう分類における最後の区切り。最末端の分類語こそ名前である。
この最末端の分類語だけは人が自由に選ぶことができて思いを込めることができるシステム。哺乳類、犬に思いは込められないが、黒くてかわいいから「ショコラ」君ね、これは可能。だからつい過剰な思いをこめてしまう。しかしその思いはもっと別な形で子供に込めることができないか。名前の読みにくい子供の成績が悪いことが多かったり、そういう親のクレームが多かったりするのは、思いのこめ方が少しずれているからである可能性が高い。
すべてに人に当てはめる必要もないですが、傾向としては大変理解できます。私自身、大人になるまでずっと「名前をきちんと読んでくれよ」と感じながら育ちました。こういう経験こそ私が感動経営革命に縁を感じた原点です。 「名前は命」
この記事は2026年6月24日((火))(株)研秀舎/QM-East 代表取締役 藤原格により作成されました。

