参加費を無駄にしない!セミナーを活かす重要ポイント
セミナーの傾向
最近経営セミナーや講演を開催、または招聘されて行うことが多くなりました。テーマは本業であります「戦う前に勝つ仕組み作り」「商品価格に頼らず受注する必勝の方程式」などであり、売上向上を実現するための営業力強化の方法、組織戦略や発想法、具体事例などを中心にお話しています。
このままではいけない!業界全体を何とかしたい!という危機感を持った、建設関係の業界に招聘されたり、金融機関の経営者交流会に呼んでいただいたり、自主開催を行ったりと5月は結構忙しい月でもありました。
こうした企画に携わっていると色々な傾向が見えてきます。昨今の社会環境も反映していますので、今回はこうしたセミナーを有効に活かすための大切なポイントをお話します。
まず、参加者の傾向として顕著なのがコンサルタント、士業、IT系、人材派遣関連、独立する、あるいは独立したての方が多いということです。そして製造業などのいわゆる実業の経営者方々が減っています。
夢、志を実現するために独立される方ももちろんいますが、どちらかといえば、リストラや労働環境の悪化で退職せざるを得ず、この際もう会社員はしたくないので独立、という流れが相当数あると感じます。こうしたパターンは顧客がさほどあるわけでもなく、集客ノウハウがないために様々なセミナーを渡り歩いてしまう方々となります。
またインターネットが普及してから特に顕著なキーワードが「スピード」です。
秒速で◇億稼ぐ、1年で△億貯めた、といった類の書籍が書店を彩っていることはご存知のとおりですが、セミナーのタイトルでもこの種を多く見かけます。こうした手っ取り早いと思われるような手法はタイミングや時流に乗れば上手くいくこともありますが、基本的に長続きはしません。すぐに着手できるということは誰でも真似できるということで、ある程度普及した時点で一気に廃れます。
治療で言えば西洋的手法、対処療法ともいえます。即効性がありそうな美味しいタイトルの講座はたくさんありますし、そうでなければ人が集まらない傾向もあるのですが、本当に効果的か、自分に必要なものか等、今一度、吟味すべきです。
セミナーを活かすポイント
こうした時代背景を踏まえてセミナーを活かす大切なポイントをお話します。参加者は大きく分けて3種類に分かれます。
1 学び続ける人。一見ポジティブですが、言い換えると「参加し続ける人」といえます。何かいいものはないか、なにか直ぐ役立つものは?と次から次へとセミナーを渡り続けます。こうした人たちの傾向は自分の頭にあるイメージに沿えばよい内容、イメージに合わなければよくないと決め付けが早いのが特徴です。そして学んだことを実践してみるところまでなかなか行きません。座学の人であり動詞一言でいうなら「知る」というレベル。学びの上中下で言えば下。
2 学んだことをまとめ整理する人。好き嫌いはともかくせっかく学んだことだからと、とりあえず少しはやってみたりもするというレベル。何かに着手すればなにかひとつは腹に落ちます。これは一言で言えば「理解する」というレベル。しかし理解しただけでは本当に学んだことにはなりません。学びの上中下の中。
3 学んだことを実践する人。一言で言えば「掴む」というレベル。掴むまでおこなって初めて身につくといえます。人に伝えられえて初めて学んだといえるのではないでしょうか。せっかくお金をかけて学ぶわけですから、なんであれ自分が関心を持って足を運んでお金と時間の投資をした以上、まずはこのレベルを目指すべきです。やってみて違うと思えば修整していけばいいだけです。学びの上レベル。
次々にセミナーを渡り歩いて自分のイメージに沿うものだけしか認めない傾向からはせっかく時間とお金を投資しているのに視野の広がりが期待できません。実にもったいない話です。
スピード重視の時代、自分に有効なものをより早く、という傾向はし方ないにしても、時間はかかるかもしれませんが、しっかりと腰を下ろして東洋医学的(根本治療)な考え方を持つ必要があると感じます。
関心があって参加されているはずなのに、下を向いてスマホをいじっているなどは実にもったいない姿と映ります。眼をしっかり見開いて食い入るような視線で一字一句を拾っていく姿勢こそ学びの本質ではないでしょうか。
本当に必要なものを見定めながら 上記の学びの上・中・下を意識していただければと思います。
最後に・・「滴骨血の学問」という言葉があります。昔の中国での話です。人が亡くなったとき故人が身につけていた宝石類を一緒に埋葬する習慣があった時代、墓あらしが流行ったそうです。そうすると骨が散乱し、肉親の骨がわからなくなります。そのとき自分の体を傷つけて血を骨にたらしてみて、肉親の骨であればその血が骨にしみこんでいく、とされていました。そうやって肉親かどうかを判別する、その真剣さ、わが身を傷つけて血をたらすような真剣さで学問に取り組みなさいという教えです。参考まで。
上記の記事は弊社の根幹となる哲学「喜びの帝王学」を基にしています。