コミュニケーションを変えるために
この夏休みに面白い気づきがありました。私には小学生の子供がいますので、色々とママ友情報が入ってきます。この夏はコロナの影響で東京都民は外にでるな、という空気ばかりでした。私も都内だからと伊豆大島行の予約をしましたが、結局キャンセルしました。
そんな中、A君家族は子供になにも体験させてあげられないのはかわいそうということで、後ろめたさを伴いながらも静かに那須高原に行ったそうです。そして全く偶然ですが、同じ時期にB君家族も那須高原に行きました。こちらは「皆なんだかんだ出歩いているし、いいんじゃない?」というノリで楽しんだようです。
そして夏休み明け、家内がA君ママ、B君ママに東京からの旅行客がどの位きていたかと尋ねたところ、A君ママ「やっぱりほとんどいなかったね~」、それに対してB君ママは「結構いたよー!やっぱりね~」同じ時期に那須に行っているのにどういうことでしょう?
仮に東京ナンバープレートが100台に1台の確率であったとしても、考え方次第で見え方が異なるということですね。「この時期に外に出る人なんてあまりいない」と思えば東京ナンバーは自分の視界に入らないかもしれないし、「どうせ皆じっとしていられない、外に出る」を前提にすれば「ほら!ここにもいた」になります。人は見たいようにモノを見るということです。人は意識するしないにかかわらず、こうして主観で物を見ているということです。
これは「聞きたいように人の話を聞く」にもつながります。相談に乗ってほしいと言いながらちっとも人の意見を聞かない人がいます。自分が持っている考えを確認したいだけ、ということです。もちろん真面目に相談に乗ってください、と言っている場合もあるでしょうが、潜在的に自分が隠し持っている意見の確認作業をしたいだけ、ということは案外多いのではないでしょうか。自分の考えに沿えば「やっぱりそうですよねー。いいアドバイスありがとうございます!」。耳の痛い、それだけはやりたくないというアドバイスだったら「あの上司は私のことをわかっていない!」となりがち。
人は見たいように見るし、聞きたいように聞く・・これを前提にすると組織内でもお客様でもコミュニケーションの質が変わってきます。「相談に乗ってください」という部下に対しては相談のテーマとそれに対する本人の考えをまず書かせて整理させてから相談を受けると建設的・効率的かもしれません。少なくとも「どうしたらいいでしょう?」から「A案とB案どちらがいいでしょう?」という相談癖は大切です。
上記の記事は弊社の根幹となる哲学「喜びの帝王学」を基にしています。